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		<title>This is not a diary.</title>
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		<description>これは日記ではない：深い意味もなく、ただただメモ帳なのです</description>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
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	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/idea_in_library.htm">
		<title>[本]図書館が教えてくれた発想法(著：高田高史、2007年)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/idea_in_library.htm</link>
		<description>僕が生れ育った町は、どちらかと言えば小さい町で、少なくとも子どもの頃は図書館が無かった(今はあります)。図書館が無くて、もちろん司書という専門職の職員もいない。人口数千人の町というのは、どこも似たようなものだと思うのだが、複合施設的な公民館と呼ばれる建物があって、そこに教育委員会事務局があって、教育委員会事務局が公民館の管理もしていて、教育長が公民館館長を兼務していて、公民館に、町民ホールと呼ばれる文化施設的なものがあって、もちろん、そこでは成人式なんかをよくやっていて、でもって、「図書室」がある。図書館が独立した建物として存在するのは少ないのではなかろうか。自分が住んでいる町しか知らないと、そのあり方が全国津々浦々まで同じであるかのような錯覚に陥いるが、そんなことはない。図書館がそもそも無い自治体だってあるってことを大きな街にしか住んだことのない人は知らない。で、小さい自治体は、本屋さんもない。実際、僕の住んでいた町は、本当に小さい本屋さんが一件あったけど(今は無いです。つまり一件もない。)、基本的に注文(取り寄せ)。本屋さんにぷらっと行って好きな本を選ぶ、なんてことはできない。だから、開架式の公共図書館はとってもとっても大事な場所。で、僕の小さな頃の図書館のイメージというのは次のよう。まず、思い出は、飛び出す絵本。ポップアップ絵本ってやつ。飛び出す絵本に初めて出会ったのが公民館の図書室。これが、すっごく楽しい。カウンターにはいつもだいたい同じ人がいて声をかけてくれる。図書室の一角には、カーペット敷の小あがりがあって、そこで寝そべって本を読む。図書室っていっても、普通にマンガもある。だって、本屋さんがないんだもん。単行本のマンガすら、車で30分ぐらいかけて隣街に行かなきゃ買えない。マンガを買おうと思うと、「予約」しなきゃならない。並んでいるマンガはいつの発刊が分らない年代もの。毎週確実に買えるマンガは、週間マンガぐらい。だから、色んなマンガが読める公民館の図書室は子どものたまり場。図書室には、将棋とか、オセロとか、おてだまとか、子どもの遊び道具もいっぱいあった。本を読んで、あきたら、将棋して、また本に戻る。漫画も読むけど、学研のひみつシリーズとか、楽しく学べるものも数多くあった。子どもって、遊びと勉強との境目が微妙。だからそんなの区別しなくって、自由自在に行き来できる場所がいいんだと思う。で、自分達で、色々考えて遊んで、本を読んでいたんだけど、カウンターにいたのは専門職の人じゃない。本の探し方を習った訳じゃなくて、小学生の頃は、よく、特許の本や発電方法の本を借りていた。やはり専門家の誘導がなかったので、随分まわり道をしたんじゃないかと思う。この本を読んで、久しぶりに故郷の「図書室」のことを思い出した。"子ども"の利用方法が良い例なんだけど、みんな図書館に「特定の本を探し」に行っている訳じゃない。図書館は無料貸本屋じゃない。無料貸本屋だったら、とっとと図書館なんて廃止すればいい。税金で運営する理由はない。でも、実際はそうじゃない。みんな知識を求めている。僕が子どもの時に、図書館にどうして足を運んだか。特定の読みたい本があって、それを無料で借りられるから行っていた訳じゃない。何かを知りたい。あるいは、僕が知りたいのは何か。もやもやしたこの知への欲求を整理してくれる場所。それが図書室(図書館)だったんだと思う。で、どうして、公(おおやけ)で図書館を運営しなきゃならないか、そもそものことを考えるヒントが、この本にはいっぱいつまっている。図書館での仕事って、多分僕はほとんと知らない。でも、この本は、日記形式で、図書館の一日を教えてくれる。こういう図書館だったら、行きたいな、あるいは、こういう仕事だったら、図書館で働いてみたいな、と思える、そういう一冊。</description>
		<dc:subject>本</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2009-11-20T01:21+09:00</dc:date>
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<p>僕が生れ育った町は、どちらかと言えば小さい町で、少なくとも子どもの頃は図書館が無かった(今はあります)。図書館が無くて、もちろん司書という専門職の職員もいない。人口数千人の町というのは、どこも似たようなものだと思うのだが、複合施設的な公民館と呼ばれる建物があって、そこに教育委員会事務局があって、教育委員会事務局が公民館の管理もしていて、教育長が公民館館長を兼務していて、公民館に、町民ホールと呼ばれる文化施設的なものがあって、もちろん、そこでは成人式なんかをよくやっていて、でもって、「図書室」がある。図書館が独立した建物として存在するのは少ないのではなかろうか。</p>

<p>自分が住んでいる町しか知らないと、そのあり方が全国津々浦々まで同じであるかのような錯覚に陥いるが、そんなことはない。図書館がそもそも無い自治体だってあるってことを大きな街にしか住んだことのない人は知らない。で、小さい自治体は、本屋さんもない。実際、僕の住んでいた町は、本当に小さい本屋さんが一件あったけど(今は無いです。つまり一件もない。)、基本的に注文(取り寄せ)。本屋さんにぷらっと行って好きな本を選ぶ、なんてことはできない。だから、開架式の公共図書館はとってもとっても大事な場所。で、僕の小さな頃の図書館のイメージというのは次のよう。</p>

<p>まず、思い出は、飛び出す絵本。ポップアップ絵本ってやつ。飛び出す絵本に初めて出会ったのが公民館の図書室。これが、すっごく楽しい。カウンターにはいつもだいたい同じ人がいて声をかけてくれる。図書室の一角には、カーペット敷の小あがりがあって、そこで寝そべって本を読む。図書室っていっても、普通にマンガもある。だって、本屋さんがないんだもん。単行本のマンガすら、車で30分ぐらいかけて隣街に行かなきゃ買えない。マンガを買おうと思うと、「予約」しなきゃならない。並んでいるマンガはいつの発刊が分らない年代もの。毎週確実に買えるマンガは、週間マンガぐらい。だから、色んなマンガが読める公民館の図書室は子どものたまり場。図書室には、将棋とか、オセロとか、おてだまとか、子どもの遊び道具もいっぱいあった。本を読んで、あきたら、将棋して、また本に戻る。漫画も読むけど、学研のひみつシリーズとか、楽しく学べるものも数多くあった。子どもって、遊びと勉強との境目が微妙。だからそんなの区別しなくって、自由自在に行き来できる場所がいいんだと思う。</p>

<p>で、自分達で、色々考えて遊んで、本を読んでいたんだけど、カウンターにいたのは専門職の人じゃない。本の探し方を習った訳じゃなくて、小学生の頃は、よく、特許の本や発電方法の本を借りていた。やはり専門家の誘導がなかったので、随分まわり道をしたんじゃないかと思う。</p>

<p>この本を読んで、久しぶりに故郷の「図書室」のことを思い出した。"子ども"の利用方法が良い例なんだけど、みんな図書館に「特定の本を探し」に行っている訳じゃない。図書館は無料貸本屋じゃない。無料貸本屋だったら、とっとと図書館なんて廃止すればいい。税金で運営する理由はない。でも、実際はそうじゃない。みんな知識を求めている。僕が子どもの時に、図書館にどうして足を運んだか。特定の読みたい本があって、それを無料で借りられるから行っていた訳じゃない。何かを知りたい。あるいは、僕が知りたいのは何か。もやもやしたこの知への欲求を整理してくれる場所。それが図書室(図書館)だったんだと思う。</p>

<p>で、どうして、公(おおやけ)で図書館を運営しなきゃならないか、そもそものことを考えるヒントが、この本にはいっぱいつまっている。</p>

<p>図書館での仕事って、多分僕はほとんと知らない。でも、この本は、日記形式で、図書館の一日を教えてくれる。こういう図書館だったら、行きたいな、あるいは、こういう仕事だったら、図書館で働いてみたいな、と思える、そういう一冊。</p>]]></content:encoded>
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	</item>
	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/econ/econ_history.htm">
		<title>[本]経済学の歴史(著：根井雅弘、2005年、講談社)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/econ/econ_history.htm</link>
		<description>ふと、実家に帰る際、空港で立寄った書店で、何故かバーゲンをしていて、思わず買ってしまった一冊。経済学説史と言えば、学生の頃に講義を受けたはずだが、もう、それは十数年以上前の話で、やはり使わない知識は消えてしまい、残った知識は自分の都合のよいように純化されてしまう。それを、改めて仕切り直すにはよい一冊だった。(それそのもので生計を立てるという意味での)プロの経済学者を志していた頃であれば、それぞれの経済学者の経歴を自分の置かれている状況に準えて、自分の置かれている境遇との共通点を見い出しほくそえむこともあるのかもしれないが、そのようなことをして満足できる程若くもなく、プロの経済学者列伝という意味では、ただ淡々と、そういう人もいるのか、というだけのことなのだが、それはさておいても、学説の流れは興味深く、面白い一冊だった。やはり、最近とみに思うのが「競争」ということに対する認識である。しばしば新聞紙上で論議があったのが「競争=悪」という話で、いわゆる「ゆとり教育」の一つの表出形態とでも言うのか、小学校の徒競走で順位をつけないとか、お遊戯で主人公が交代制だとか、とにもかくにも、「競争させない」、「順位をつけるのはよくない」、という雰囲気があった。しかし、同時並行的に、大人の社会では、「競争=善」という雰囲気が漂い、規制緩和が進み、あるいは行政が行っていた部門にも競争性を導入すべきだ、あるいはそもそも地方自治体に至っては、地域間競争ないし自治体間競争をすべきだ、という議論まで巻き起こることになる。この二つの、一見相反する思想的ベクトルの根底にあるものを探しあてるのが、社会について考える人間の役目だと思うのだが、未だその解答は得ず。しかし、後者の「競争=善」(という、思い込みにすぎない単純化された図式)については、経済学が、誤解をもって世間にその基本的な知識を流布した責任が大いにある、と、しっかりと訴えたい。経済学において、競争とはどのような状態を指すのか。本書を読めば、その認識は固定ではなく、それぞれの時代の経済学によって異なるし、異なるべきだと思う。学説史を学ぶといいうのは、今おかれている学問の潮流を読み解くというだけでなく、それぞれの時代に生きた経済学者たちが、どのようにして社会現象と格闘したか、それを思い知り、また、自らの立場を再度認識する、とてもよい機会を与えてくれるのだと思う。</description>
		<dc:subject>本::経済</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2009-11-01T15:48+09:00</dc:date>
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<p>ふと、実家に帰る際、空港で立寄った書店で、何故かバーゲンをしていて、思わず買ってしまった一冊。</p>

<p>経済学説史と言えば、学生の頃に講義を受けたはずだが、もう、それは十数年以上前の話で、やはり使わない知識は消えてしまい、残った知識は自分の都合のよいように純化されてしまう。それを、改めて仕切り直すにはよい一冊だった。</p>

<p>(それそのもので生計を立てるという意味での)プロの経済学者を志していた頃であれば、それぞれの経済学者の経歴を自分の置かれている状況に準えて、自分の置かれている境遇との共通点を見い出しほくそえむこともあるのかもしれないが、そのようなことをして満足できる程若くもなく、プロの経済学者列伝という意味では、ただ淡々と、そういう人もいるのか、というだけのことなのだが、それはさておいても、学説の流れは興味深く、面白い一冊だった。</p>

<p>やはり、最近とみに思うのが「競争」ということに対する認識である。しばしば新聞紙上で論議があったのが「競争=悪」という話で、いわゆる「ゆとり教育」の一つの表出形態とでも言うのか、小学校の徒競走で順位をつけないとか、お遊戯で主人公が交代制だとか、とにもかくにも、「競争させない」、「順位をつけるのはよくない」、という雰囲気があった。しかし、同時並行的に、大人の社会では、「競争=善」という雰囲気が漂い、規制緩和が進み、あるいは行政が行っていた部門にも競争性を導入すべきだ、あるいはそもそも地方自治体に至っては、地域間競争ないし自治体間競争をすべきだ、という議論まで巻き起こることになる。この二つの、一見相反する思想的ベクトルの根底にあるものを探しあてるのが、社会について考える人間の役目だと思うのだが、未だその解答は得ず。しかし、後者の「競争=善」(という、思い込みにすぎない単純化された図式)については、経済学が、誤解をもって世間にその基本的な知識を流布した責任が大いにある、と、しっかりと訴えたい。</p>

<p>経済学において、競争とはどのような状態を指すのか。本書を読めば、その認識は固定ではなく、それぞれの時代の経済学によって異なるし、異なるべきだと思う。
学説史を学ぶといいうのは、今おかれている学問の潮流を読み解くというだけでなく、それぞれの時代に生きた経済学者たちが、どのようにして社会現象と格闘したか、それを思い知り、また、自らの立場を再度認識する、とてもよい機会を与えてくれるのだと思う。</p>]]></content:encoded>
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	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/young_hitler.htm">
		<title>[本]青年ヒトラー(2009年、著：大澤 武男、平凡社)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/book/young_hitler.htm</link>
		<description>ふと、目について、手にとった本。ヒトラーと言えばナチスドイツ。アウシュビッツ収容所、毒ガス、ユダヤ人迫害、...と教科書に並ぶキーワードしか想起されなかったのだが、この本を読む前の私のイメージ。この本を読むと、青年期のヒトラーの姿を知ることができる。そこには、青年期の、社会に対する不満や、片思いが成就しない悔しさ、興味のあるものを追及する探究心、などなど、普通の若者像を読んで取れる。元々、ヒトラーの「我が闘争」をいつかは読まねば、と思っていた。というのは、高校の恩師が、彼の「我が闘争」は、彼がいかにして、民衆をひきつけたか、その理由が読んでとれる。と、いうようなことを世界史の授業で聞いて、読みたいと思っていた。その思いが、もう20年来片隅にあって、ふと新書で、関連本が目について、買ったというのが経緯。アドルフ・ヒトラーのことを「独裁者」と普通の人は言うし、私も彼は独裁者だと思うし、この本を読んでもなお、彼は独裁者だし、弁護する余地は無いのだが、しかし、彼の青年期は至って普通なのだ。一風変わった青年が、独裁者になるべくして、独裁者になった、という分析を聞いても、「へえ」というだけだが、実はそうではなくて、普通の青年が、色々な偶然を契機として、独裁者になってしまった、というと、これは話が違う。恐らく彼は、"独裁者になってしまった"という表現が一番しっくりくるのではなかろうか。青年期のヒトラーは、まともな職業につかず、絵(建築画家)の世界で生計を立てることにあこがれて、一方で、オペラ観賞などをするという生活で、生活そのものは規律正しく、つつましやかだったようだが、そのような切迫感の無い生活が可能だったのは、家に財産的な余裕があったからで、彼は貧乏のどん底からはいあがってきた人間では無いことが読んでとれる。現世であれば、「お前は、生意気言ってるけど、何だかんだいって、おぼっちゃん育ちだねぇ」なんてひやかされて終わり、なのだろうが、彼は第一次世界大戦という、世界的な一大事件に身を投じることなり、そこで、一人の伝令兵として名声を得ることになる。この若者期の大きな経験が、彼の人生を方向付けていったのだろう。本著作は、青年期の記述が中心なのだが、若者期のヒトラーとの人のつながりということで、総統になって以後の記述もある。その中で、ユダヤ人迫害についての、筆者の考えがあるのだが、筆者に考えでは、要約すると"彼は、別段ユダヤ人が嫌いだった訳ではないし、迫害したかった訳でもない。ただ、ユダヤ人を悪者にすると民衆に受けた。それだけの理由で迫害したのだろう"ということだ。この考えは、私は今まで持ったことがなかったし、ある意味、一つの衝撃だが、この本を読んでよかったとも思った瞬間でもあった。独裁者はどのようにして、独裁者となるのか。ヒトラーは少し変ったところはあったが、普通の青年。どの能力に長けていたのか。本著作を読んだ感想の範囲で、独裁者形成の要素を抜き出せば、(1)何を言えば、民衆がついてくるかを、瞬時に感じとることができる(2)民衆がついてくることが、喜びである(あるいは、民衆がついてくることが、何らかの"自らが思い込んだ"事象(それは最終的には民衆を悲劇に導くことになるかもしれないが)を変革する必要不可欠の要因だと思い込むことができる)、という二点ではなかろうかと思う。(1)の要素だけでは独裁者にはなれない。何故なら、民衆がついてくる発言というのは、必ずしも理性的でないし、時として現実的ではないし、実現性に乏しいことすらある。理性的な人間であれば、民衆がついてきても、どこかの段階で、実現が困難であることに気付き、熟慮し、自らの発言の未熟さに気付き、撤回すらすると思われる。独裁者になるには、(2)の要素がとても大事なのだと思う。冷静に状況を判断し、仮に民衆がついてくるプロパガンダ等であっても、全体の状況を考え、総合的に判断した結果、現実的ではない、ということが普通だろう。例えば、「税金は全部無しです。公務員は奴隷です。」と言えば、民衆は揺動されるかもしれないが、そもそも、そんなことは現実的でない。しかし、民衆を引き付けることが喜びの人間は、分析はどうでもよくって、とにかく自らが感じとった民衆の雰囲気をベースに、これを更に推し進め、あげくの果てに、「タダ働きしない公務員は処刑します」と言うかもしれない。それは言うかどうかは(1)の能力。(2)という性格がベースにあって、(1)の能力が備わっている人間が独裁者になる、ということか...素朴分析ならば。実際、そんな、単純じゃないけど...。ヒトラー....。チャップリンの映画(「独裁者」)は、DVDも、VHSテープも持っていて、何度も見てるのだが、本当に今考えるとすごいって思う。気を張って何かを訴えるというのは、辛抱なんだろうなあ。</description>
		<dc:subject>本</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2009-10-10T21:31+09:00</dc:date>
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<p>ふと、目について、手にとった本。</p>

<p>ヒトラーと言えばナチスドイツ。アウシュビッツ収容所、毒ガス、ユダヤ人迫害、...と教科書に並ぶキーワードしか想起されなかったのだが、この本を読む前の私のイメージ。この本を読むと、青年期のヒトラーの姿を知ることができる。そこには、青年期の、社会に対する不満や、片思いが成就しない悔しさ、興味のあるものを追及する探究心、などなど、普通の若者像を読んで取れる。</p>

<p>元々、ヒトラーの「我が闘争」をいつかは読まねば、と思っていた。というのは、高校の恩師が、彼の「我が闘争」は、彼がいかにして、民衆をひきつけたか、その理由が読んでとれる。と、いうようなことを世界史の授業で聞いて、読みたいと思っていた。その思いが、もう20年来片隅にあって、ふと新書で、関連本が目について、買ったというのが経緯。</P>

<p>アドルフ・ヒトラーのことを「独裁者」と普通の人は言うし、私も彼は独裁者だと思うし、この本を読んでもなお、彼は独裁者だし、弁護する余地は無いのだが、しかし、彼の青年期は至って普通なのだ。一風変わった青年が、独裁者になるべくして、独裁者になった、という分析を聞いても、「へえ」というだけだが、実はそうではなくて、普通の青年が、色々な偶然を契機として、独裁者になってしまった、というと、これは話が違う。恐らく彼は、"独裁者になってしまった"という表現が一番しっくりくるのではなかろうか。</p>

<p>青年期のヒトラーは、まともな職業につかず、絵(建築画家)の世界で生計を立てることにあこがれて、一方で、オペラ観賞などをするという生活で、生活そのものは規律正しく、つつましやかだったようだが、そのような切迫感の無い生活が可能だったのは、家に財産的な余裕があったからで、彼は貧乏のどん底からはいあがってきた人間では無いことが読んでとれる。現世であれば、「お前は、生意気言ってるけど、何だかんだいって、おぼっちゃん育ちだねぇ」なんてひやかされて終わり、なのだろうが、彼は第一次世界大戦という、世界的な一大事件に身を投じることなり、そこで、一人の伝令兵として名声を得ることになる。この若者期の大きな経験が、彼の人生を方向付けていったのだろう。</p>

<p>本著作は、青年期の記述が中心なのだが、若者期のヒトラーとの人のつながりということで、総統になって以後の記述もある。その中で、ユダヤ人迫害についての、筆者の考えがあるのだが、筆者に考えでは、要約すると"彼は、別段ユダヤ人が嫌いだった訳ではないし、迫害したかった訳でもない。ただ、ユダヤ人を悪者にすると民衆に受けた。それだけの理由で迫害したのだろう"ということだ。この考えは、私は今まで持ったことがなかったし、ある意味、一つの衝撃だが、この本を読んでよかったとも思った瞬間でもあった。</p>

<p>独裁者はどのようにして、独裁者となるのか。ヒトラーは少し変ったところはあったが、普通の青年。どの能力に長けていたのか。</p>

<p>本著作を読んだ感想の範囲で、独裁者形成の要素を抜き出せば、(1)何を言えば、民衆がついてくるかを、瞬時に感じとることができる(2)民衆がついてくることが、喜びである(あるいは、民衆がついてくることが、何らかの"自らが思い込んだ"事象(それは最終的には民衆を悲劇に導くことになるかもしれないが)を変革する必要不可欠の要因だと思い込むことができる)、という二点ではなかろうかと思う。</p>

<p>(1)の要素だけでは独裁者にはなれない。何故なら、民衆がついてくる発言というのは、必ずしも理性的でないし、時として現実的ではないし、実現性に乏しいことすらある。理性的な人間であれば、民衆がついてきても、どこかの段階で、実現が困難であることに気付き、熟慮し、自らの発言の未熟さに気付き、撤回すらすると思われる。</p>

<p>独裁者になるには、(2)の要素がとても大事なのだと思う。冷静に状況を判断し、仮に民衆がついてくるプロパガンダ等であっても、全体の状況を考え、総合的に判断した結果、現実的ではない、ということが普通だろう。例えば、「税金は全部無しです。公務員は奴隷です。」と言えば、民衆は揺動されるかもしれないが、そもそも、そんなことは現実的でない。しかし、民衆を引き付けることが喜びの人間は、分析はどうでもよくって、とにかく自らが感じとった民衆の雰囲気をベースに、これを更に推し進め、あげくの果てに、「タダ働きしない公務員は処刑します」と言うかもしれない。それは言うかどうかは(1)の能力。(2)という性格がベースにあって、(1)の能力が備わっている人間が独裁者になる、ということか...素朴分析ならば。実際、そんな、単純じゃないけど...。</p>

<p>ヒトラー....。チャップリンの映画(「独裁者」)は、DVDも、VHSテープも持っていて、何度も見てるのだが、本当に今考えるとすごいって思う。気を張って何かを訴えるというのは、辛抱なんだろうなあ。</p>]]></content:encoded>
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	</item>
	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/music/casey_rankin.htm">
		<title>[音楽]ケーシー・ランキン(Casey David Rankin)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/music/casey_rankin.htm</link>
		<description>この前、彼の音楽を紹介したばかりだったが、この1月に逝去していたらしい。御冥福をお祈りします。Wikipediaなどでも紹介されているように、松田優作氏主演の「探偵物語」の主題歌"bad city"などを手掛けていることで有名。今聞いても軽やかでセンスの良い感じを受ける。彼自身はベトナム戦争で兵士として参戦。その時の体験が彼を仏教の道へ誘ったらしい。日本でSHOGUNのメンバーへ。SHOGUNの2枚組のコンプリートコレクションはお勧め。当時ゴダイゴなど、多国籍なグループが存在した日本というのは本当に色々な国と、本当に溶け込んでいたと思う。今は、表面的には「国際交流」とか「国際理解」と言っているが、当時の方がずっと普通に「コクサイコウリュウ」をやっていたのじゃなかろうか。今の時代ほど、他国の文化に拒否反応を示している時代はないんじゃないかと思う。全方向外交...。そういう日本の本来的な方向性をもっと生かせばいいのに、と思う。wikipediaでは、超時空世紀オーガスオープニング・エンディグ担当、と紹介されているが、作詞は日本人が担当。作曲と歌を担当。担当というのは何とも素気ない気がするが、何とも言えない雰囲気で、同アニメーションのOP・EDを歌いあげている。折を見て、彼の作品を追いかけようと思っていた矢先の出来事だっただけに残念に思う。彼の曲には何とも言えない哀愁があるように思う。「暗い」というのとは違うのだが、明日に向う方向性の中に、「しかと地面に足をつけて進めよ」とでも言わんばかりの、ちょっとしたひっかかり。メロディ自体は軽快で、さあ、今日も頑張ろうかという雰囲気さえ漂うのだが、その中にちらちらと感じる、いかばかりかの苦虫をかんだ時のような、そんな瞬間。多分それが彼の音楽の、大人の味で、"ちょっとイイ感じ"、だったのかもしれない。時期として随分と遅れてしまいましたが、どうそ安らかに..........</description>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2009-09-30T23:55+09:00</dc:date>
		<content:encoded><![CDATA[
<p>この前、彼の音楽を紹介したばかりだったが、この1月に逝去していたらしい。御冥福をお祈りします。</p>

<p>Wikipediaなどでも紹介されているように、松田優作氏主演の「探偵物語」の主題歌"bad city"などを手掛けていることで有名。今聞いても軽やかでセンスの良い感じを受ける。彼自身はベトナム戦争で兵士として参戦。その時の体験が彼を仏教の道へ誘ったらしい。日本でSHOGUNのメンバーへ。SHOGUNの2枚組のコンプリートコレクションはお勧め。当時ゴダイゴなど、多国籍なグループが存在した日本というのは本当に色々な国と、本当に溶け込んでいたと思う。今は、表面的には「国際交流」とか「国際理解」と言っているが、当時の方がずっと普通に「コクサイコウリュウ」をやっていたのじゃなかろうか。今の時代ほど、他国の文化に拒否反応を示している時代はないんじゃないかと思う。全方向外交...。そういう日本の本来的な方向性をもっと生かせばいいのに、と思う。</p>

<P>wikipediaでは、超時空世紀オーガスオープニング・エンディグ担当、と紹介されているが、作詞は日本人が担当。作曲と歌を担当。担当というのは何とも素気ない気がするが、何とも言えない雰囲気で、同アニメーションのOP・EDを歌いあげている。折を見て、彼の作品を追いかけようと思っていた矢先の出来事だっただけに残念に思う。</p>

<p>彼の曲には何とも言えない哀愁があるように思う。「暗い」というのとは違うのだが、明日に向う方向性の中に、「しかと地面に足をつけて進めよ」とでも言わんばかりの、ちょっとしたひっかかり。メロディ自体は軽快で、さあ、今日も頑張ろうかという雰囲気さえ漂うのだが、その中にちらちらと感じる、いかばかりかの苦虫をかんだ時のような、そんな瞬間。多分それが彼の音楽の、大人の味で、"ちょっとイイ感じ"、だったのかもしれない。</p>

<p>時期として随分と遅れてしまいましたが、どうそ安らかに..........</p>]]></content:encoded>
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	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/lisence/drive/normal4.htm">
		<title>普通自動車(AT限定)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/lisence/drive/normal4.htm</link>
		<description>ということで30代でようやく取得。5月から教習所に通ったので約4ヶ月。ATなのに卒業試験に一度落ちる。最初の卒業試験で、スタートして、ものの1分で交差点で対向車を見逃し即アウト。仕事をしながらなので、基本は夜の運転。どこかで、対向車をライトで見るくせがついていた模様。色々資格を取得したが、直接自分の生活に結びついている資格は初めて。AT限定は女性の取得者が多いようだが、実際に乗る車はATで、今後MTの車に乗らない予定だから、AT限定で取得。MTはMTで面白そうだったが、実際に乗らないので、パス。一緒にMTの人(若い大学生ぐらいの方々)が仮免などを受験していたが、結構落ちていた。で、実際にはATに乗るのだろうか。僕も学生だったらそうしてたかなぁ...。で、初めて知ったのが、ゴールド免許だと、若葉マークでもゴールド免許で発行されること。私は。ペーパー原付免許はもっていて、身分証明書の代りに取得したので、実際には公道を走ったことがなかった。で、ゴールド免許なのだが、これが普通自動車の免許を取得しても継続される。え〜、いいんでしょうか。自動車保険(任意保険)はお得だが.....。ということで、休みに少しずつ運転。卒業後もパートナーが指導員。うむぅ、慣れない。で、ふと思うのが、行くく先々でお酒を飲みながら旅をする私としては、多分旅行は基本電車か飛行機なんだろうと。やはり車窓を見ながら、ビール(場合によっては、ワンカップ、あるいはワイン、あるいはウィスキー水割り、あるいは....)を飲むってのが、いいです。のんべぇは、永遠に車で旅行ができんなぁ...。</description>
		<dc:subject>資格::drive</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2009-09-28T23:54+09:00</dc:date>
		<content:encoded><![CDATA[
<p>ということで30代でようやく取得。5月から教習所に通ったので約4ヶ月。ATなのに卒業試験に一度落ちる。最初の卒業試験で、スタートして、ものの1分で交差点で対向車を見逃し即アウト。
仕事をしながらなので、基本は夜の運転。どこかで、対向車をライトで見るくせがついていた模様。</p>

<p>色々資格を取得したが、直接自分の生活に結びついている資格は初めて。AT限定は女性の取得者が多いようだが、実際に乗る車はATで、今後MTの車に乗らない予定だから、AT限定で取得。MTはMTで面白そうだったが、実際に乗らないので、パス。一緒にMTの人(若い大学生ぐらいの方々)が仮免などを受験していたが、結構落ちていた。で、実際にはATに乗るのだろうか。僕も学生だったらそうしてたかなぁ...。</P>

<p>で、初めて知ったのが、ゴールド免許だと、若葉マークでもゴールド免許で発行されること。私は。ペーパー原付免許はもっていて、身分証明書の代りに取得したので、実際には公道を走ったことがなかった。で、ゴールド免許なのだが、これが普通自動車の免許を取得しても継続される。え〜、いいんでしょうか。自動車保険(任意保険)はお得だが.....。</p>

<p>ということで、休みに少しずつ運転。卒業後もパートナーが指導員。うむぅ、慣れない。</p>

<p>で、ふと思うのが、行くく先々でお酒を飲みながら旅をする私としては、多分旅行は基本電車か飛行機なんだろうと。やはり車窓を見ながら、ビール(場合によっては、ワンカップ、あるいはワイン、あるいはウィスキー水割り、あるいは....)を飲むってのが、いいです。のんべぇは、永遠に車で旅行ができんなぁ...。</p>

]]></content:encoded>
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	</item>
	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/music/recommend_034.htm">
		<title>[音楽]あかるいサザエさん(1975年)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/music/recommend_034.htm</link>
		<description>作詞：株式会社エイケン作曲・編曲：渡辺宙明歌：堀江美都子私の世代の人達は知っているはずなのだが、以前、我等が国民的アニメ「サザエさん」は週に2回放映があった。日曜は現在も放映されているが、それとは別に、いわゆる「火曜サザエさん」と呼ばれるものがあった。日曜の午後6時半からは今も放映中の時間帯だが、火曜は、なんと「午後7時」からというゴールデンタイムの放映。子供の時は全く気がつかなかったのだが、これ、実は「再放送」。ゴールデンタイムに堂々と「再放送」。ところが、再放送なのに、日曜サザエさんとは別の主題歌(オープニング・エンディング)がきちんとある。オープニングテーマは何種類かあるのだが、それよりも、このエンディングテーマがとても好きなのだ。作編曲は、初期東映戦隊シリーズの音楽を担当されていた渡辺宙明氏。日曜サザエさん(本編)の主題歌は、複数人の共同名ではないかとさえ言われているヒットメーカーの筒美京平氏(代表曲とか書きたいですが、そんなものでは済まないぐらいの数です。)の作編曲のオープニング・エンディング曲。これは確かに好きなのだが、それよりもテンポ良く、とても好きなのが、この「あかるいサザエさん」。火曜・日曜サザエさん合せてもこの曲が一番。日曜日のあの哀愁とでもいおうか、世間では「サザエさん症候群」とさえいわしめる、月曜を迎える直前の日曜のなんともいえない黄昏があるのだが、この火曜サザエさんは、それが無い。ブルーマンデーも越え、さあ、今週もガンバロウか、という火曜。はつらつとしたこのエンディングがとても爽快なのだ。そもそも、私は渡辺宙明氏の曲が好きで、それは大人になって、好きな曲が渡辺宙明氏の曲だったと、知っただけの話だが、しかしながら、これだけ子供向けの曲をたくさんかかれた同氏には、育てられた気分で感謝している。ん〜、いいなあ。</description>
		<dc:subject>音楽</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2008-12-18T23:37+09:00</dc:date>
		<content:encoded><![CDATA[<p>作詞：株式会社エイケン<br />
作曲・編曲：渡辺宙明<br />
歌：堀江美都子</p>

<p>私の世代の人達は知っているはずなのだが、以前、我等が国民的アニメ「サザエさん」は週に2回放映があった。日曜は現在も放映されているが、それとは別に、いわゆる「火曜サザエさん」と呼ばれるものがあった。日曜の午後6時半からは今も放映中の時間帯だが、火曜は、なんと「午後7時」からというゴールデンタイムの放映。子供の時は全く気がつかなかったのだが、これ、実は「再放送」。ゴールデンタイムに堂々と「再放送」。ところが、再放送なのに、日曜サザエさんとは別の主題歌(オープニング・エンディング)がきちんとある。オープニングテーマは何種類かあるのだが、それよりも、このエンディングテーマがとても好きなのだ。</p>

<p>作編曲は、初期東映戦隊シリーズの音楽を担当されていた渡辺宙明氏。日曜サザエさん(本編)の主題歌は、複数人の共同名ではないかとさえ言われているヒットメーカーの筒美京平氏(代表曲とか書きたいですが、そんなものでは済まないぐらいの数です。)の作編曲のオープニング・エンディング曲。これは確かに好きなのだが、それよりもテンポ良く、とても好きなのが、この「あかるいサザエさん」。火曜・日曜サザエさん合せてもこの曲が一番。
</p>

<p>日曜日のあの哀愁とでもいおうか、世間では「サザエさん症候群」とさえいわしめる、月曜を迎える直前の日曜のなんともいえない黄昏があるのだが、この火曜サザエさんは、それが無い。ブルーマンデーも越え、さあ、今週もガンバロウか、という火曜。はつらつとしたこのエンディングがとても爽快なのだ。</p>

<p>そもそも、私は渡辺宙明氏の曲が好きで、それは大人になって、好きな曲が渡辺宙明氏の曲だったと、知っただけの話だが、しかしながら、これだけ子供向けの曲をたくさんかかれた同氏には、育てられた気分で感謝している。ん〜、いいなあ。</p>]]></content:encoded>
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	</item>
	<item rdf:about="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/diy/diy002.htm">
		<title>手仕事002(仕切り用カーテン)</title>
		<link>http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi/diy/diy002.htm</link>
		<description>ミシンなんて久しぶりの作業。恐らく、小学校の家庭科の授業で使用して以来だと思う。まず、ミシンが無いので、奮発して、送料込みで約9000円のミニミシンを購入。そうバリバリ針仕事はしないので、今後雑巾とか、今考えているのは、エプロンシアターとか、そういったものが作れればと考えて、安くしかし普通に使えるもの、ということで選んだ。ミシンが届いてみると、思ってた以上にコンパクトで、最初見た時は、本当に大丈夫かと思ったが、実際にカーテンが、とりあえず縫えたので大丈夫だと思う。カーテンをつくるのに参考にしたサイトは節約レシピsetu&repi：カーテンを手作りしよう！。感謝。何のためのカーテンかと言えば、玄関と廊下を区切るため。玄関の空気をさえぎって、断熱効果を多少でも上げようという主旨。普通のカーテンと違うのが、裏表両方とも人目につくという点。ということで、生地は両面ともに目でみて支障の無いものということで、染色していない薄手のデニム生地を選択。110×300cmと、木製の洗濯バサミ、ミシン糸(60番生成り)で、合計5000円ぐらい。参考サイトどおりにやってみる。そもそもミシンがかな〜り久しぶり。できるかどうか不安だった。最初は曲りながら、戻りながらだったが、段々調子が出てくる。途中、曲ったまま縫い付けてしまい、ハサミで途中まで縫った糸をほぐす作業という、悲しいこともあったが、それでも何とか完成。「ひだ」をどうするか考えたが、そもそも窓との間につける訳ではないのと、生地の幅の関係から、ひだは無し。ということで、これは「一反木綿か」というものができあがったが、ついでにカーテンをしばるヒモも作って、満足。最初はオーダーカーテンと思ったが、冬場だけだし、これっと思うものがなかったし、そうお金はかけたくなかったので、自作。なんとかなるもの。自作カーテン前回の自作脱衣所棚無印の中サイズのカゴは縦方向にして使うように、無印の棚のサイズはつくられていて、それだと狭くなる。だったら、横にして丁度良いサイズの棚があれば、ということで自作。</description>
		<dc:subject>diy</dc:subject>
		<dc:creator>hide (mailto:sansho@cv.pepper.jp)</dc:creator>
		<dc:date>2008-12-14T16:44+09:00</dc:date>
		<content:encoded><![CDATA[
<p>ミシンなんて久しぶりの作業。恐らく、小学校の家庭科の授業で使用して以来だと思う。まず、ミシンが無いので、奮発して、送料込みで約9000円のミニミシンを購入。そうバリバリ針仕事はしないので、今後雑巾とか、今考えているのは、エプロンシアターとか、そういったものが作れればと考えて、安くしかし普通に使えるもの、ということで選んだ。</p>

<p>ミシンが届いてみると、思ってた以上にコンパクトで、最初見た時は、本当に大丈夫かと思ったが、実際にカーテンが、とりあえず縫えたので大丈夫だと思う。<p>

<p>カーテンをつくるのに参考にしたサイトは<a href="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/blosxom.cgi?redirectURL=http://repiko.yakan.net/ka-ten.html" onMouseOver="window.status='to repiko.yakan.net/ka-ten.html'; return true;" onMouseOut="window.status=''; return true;">節約レシピsetu&repi：カーテンを手作りしよう！</a>。感謝。</p>

<p>何のためのカーテンかと言えば、玄関と廊下を区切るため。玄関の空気をさえぎって、断熱効果を多少でも上げようという主旨。普通のカーテンと違うのが、裏表両方とも人目につくという点。ということで、生地は両面ともに目でみて支障の無いものということで、染色していない薄手のデニム生地を選択。110×300cmと、木製の洗濯バサミ、ミシン糸(60番生成り)で、合計5000円ぐらい。</p>

<p>参考サイトどおりにやってみる。そもそもミシンがかな〜り久しぶり。できるかどうか不安だった。最初は曲りながら、戻りながらだったが、段々調子が出てくる。途中、曲ったまま縫い付けてしまい、ハサミで途中まで縫った糸をほぐす作業という、悲しいこともあったが、それでも何とか完成。「ひだ」をどうするか考えたが、そもそも窓との間につける訳ではないのと、生地の幅の関係から、ひだは無し。ということで、これは「一反木綿か」というものができあがったが、ついでにカーテンをしばるヒモも作って、満足。</p>

<p>最初はオーダーカーテンと思ったが、冬場だけだし、これっと思うものがなかったし、そうお金はかけたくなかったので、自作。なんとかなるもの。</p>
<p>自作カーテン<br />
<img src="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/graphic/katen.png"><br />
前回の自作脱衣所棚<br />
<img src="http://sansho.pepper.jp/cgi-bin/blog/graphic/bath_tana.png"><br />
無印の中サイズのカゴは縦方向にして使うように、無印の棚のサイズはつくられていて、それだと狭くなる。だったら、横にして丁度良いサイズの棚があれば、ということで自作。
</p>



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	</item>
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